生きかた上手
「生きかた上手」日野原重明著
Ⅰ.何事もとらえかた次第
小倉遊亀先生にふたたび絵筆を取らせた「気力」
元気というのはあくまで「気」がもたらすもので、たとえばマロリーではありません。
私の朝の食事はコーヒーとジュースだけ、昼も牛乳1本とクッキーで済ませることがほとんどです。
まるで水分だけで生きているようです。
食べなきゃ元気が出ない、というのは気のせいで、気持ちの張りがあれば元気でいられます。
どこかでまとめて食べてもいいのですから、「こうでなきゃ」とあまりからだのことに杓子定規にならないことです。
困ったことに、医者というのも、体という器の出来ばかりをとやかく言いがちで、なかなかアバウトになれないものです。
ことに若いと、教科書どおりに患者さんを厳しく指導します。
けれどお年寄りに「これをやめなさい」「あれを減らしなさい」と生活をきつく制限すると、見る間に気が萎えてしまいます。
生活の質まですっかり落ちてしまいます。
昨年105歳で亡くなられた日本画の小倉遊亀先生を、私は主治医として毎月往診していました。
小倉先生は非常に血糖値が高いために、医者から再三「血糖値を下げるように」と言われていましたが、そのうち元気がなくなられ、絵を描くこともなさらなくなりました。
そこで、私が代わって往診することになったのです。
まず私は先生に、「そんなにきつく制限なさらずに、ときどきは甘いものをどうぞ」と、申し上げました。
往診のたびに、先生は私におかしをすすめられました。
きっと自分も召し上がりたいはずですから、私はひとついただく。と、先生もひとつ召し上がる。
そうして満足なさるわけです。
血糖値は依然として高かったですが、一度は置いた絵筆を、またお取りになりました。
まさに健康感をもった生きかたです。
ですから、血糖値のことはもう強く申し上げないことにしたのです。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということばはよく知られていますが、原典を調べてみると、ローマの詩人ユヴェナリス(50頃~130)による「健康な身体に健全な精神を宿らせ給え」という祈りのことばであったようです。
からだが健全だからといって、そう簡単に健全な精神がついてくるわけではないのです。
健全な精神はやはり得がたい。
けれど、肝心なのはからだより健やかな精神、あるいは魂というのが本来の意味です。
老化によるからだの衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、「欠陥があるにもかかわらず健やかである」という生きかたを求めていくべきだと思います。
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