生き方上手
孫子の兵法「最後に勝つ人」の絶対ルール
第七講:「軍争篇」
頭を使った、「急がば回れ」の目標達成方
42 あらゆる手を使って「結果」を出す
軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為せばなり。
行く手に困難が待ち受けていたら、そこを迂回してもよい。ただしその不利を有利に転じる戦略を練り、あたかもまっすぐに進んだかのように、誰よりも早くゴールしなければならない。これを「迂直の計」という。
「戦略とは何か」の答えはこの一文にある、と私は考えます。
ようするに「ふりを有利に転じる」ことなのです。
孫子の言う「迂直の計」というのは、ちょっとわかりにくいかもしれません。
そこをご理解いただくために、まずは実際の戦争の「これぞ迂直の計」と言える例として、まず千五百六十年に織田信長と今川義元が繰り広げた尾張国桶狭間の戦いについて、検証してみましょう。
◎信長の鮮やかな逆転劇に見る5つのポイント
戦はどこからどう見ても、織田軍に不利でした。
その不利を、信長はどう有利に転じたのか。ポイントは五つあります。
一つは、三十人の間者を放って情報収集。
今川軍が駿府を出るところからずーッと様子を探らせたのです。
その結果わかったのは、今川軍はもう勝った気になって油断しているということ。
信長はこのときすでに、勝ちを確信したようです。
二つ目は、兵士のやる気を高めたこと。
出陣の身支度を整えて、熱田神宮で戦勝祈願をおこないました。
そのとき、神殿の奥から鈴の音が響きました。
まぁ、信長の”仕込み”でしょうね。
兵士たちは「紙が信長様の祈りに応えた」と盛り上がり、「絶対に勝つ」という思いを強くした。
組織が勝つという目標に向かって一つになったわけです。
三つめは、敵を骨抜きにしたこと。
今川軍が田楽狭間で昼食をとるというので、おそらく信長は周辺の村の実力者か何かに陣中見舞いと称して酒を持って行かせたのでしょう。
今川軍は「せっかくだから一杯」となり、やがて酒宴を張ったと伝えられています。
いずれにしても今川軍はただの”酔っ払い集団”に落ちてしまいました。
これは戦うどころではありませんね。
四つ目は、地形を味方につけたこと。
信長は田楽狭間を眼下に望むところに陣取り、攻撃のタイミングを計りました。
そのときです。
空が一転かき曇り、激しい雨が降ったのは。
そうでなくてもだらけ切っていた今川軍は、何も考えずにその場で立ち往生。
そこを信長は一気に急襲しました。
しかも桶狭間は、一人縦隊で歩くのがやっとの狭い道ですから、今川軍はせっかくの大きな戦力を使えなかったのです。
そして五つ目のポイントは、大将である義元の首を狙ったこと。
今川軍は義元の”ワンマン部隊”ですから、大将の首さえあれば、全軍は総崩れです。
ワンマン組織にありがちな「トップがこけたら、みなこける」という図式を、信長は利用したと言えるでしょう。
◎ビジネス・人生における「迂直の計」とは
以上、信長が講じた策を参考にして、ビジネス・人生の場でも、信長・義元双方の立場から戦略を立ててみるといいでしょう。
私から一つ提案しておくと、場所・時・テーマを自分の有利になるように設定する、という戦略があります。
たとえば交渉事やトラブルの話し合いなどで困難が予測されるときは、場所を自分の事務所や自宅にする。
スポーツでもそうですが、アウェーよりホームのほうがリラックスしてことに臨めるからです。
また時間については、自分が準備不足なら約束を一週間遅らせるとか、逆に向こうが準備不足なら一周早める、といった策を講じるといいでしょう。
その日時でないと、どうしても都合がつかないことを、相手に納得させたうえで。
場合によっては、ドタキャンもありです。
さらにテーマについては、微妙に論点をずらすという手もあります。
たとえば、手違いから入金が遅れて、相手に責められるような金銭トラブルが生じたとき。
こちらのミスを認めたうえで、「いままで遅れたことはないじゃないか。たった一度のミスも許してもらえないなんて、あなたの心が狭すぎるんじゃないのか」と倫理的な問題にすり替える、というふうにして。
いずれにせよ、ゴールは自分の思い通りに事を決着させることですから、「仁義にもとる行為」とされない範囲で、あの手この手の策を弄してみてください。
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