『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第1章 海辺の遊び人と億万長者 P20

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『胸くその悪い1日』
海辺の遊び人は、一夜にして億万長者になったわけではない。その道のりは長くのろのろとして、時には浮き沈みの激しい苦痛に満ちたものだった。
なぜなら実のところ、自分が何をしているのか自分でも分かっていなかったからだ。
あなたがこの本を読んで手に入れようとしている秘訣を、当時の僕はまだ手に入れていなかった。
つまりその頃の僕は、スライト・エッジについて無知だったのだ。
僕はそれを、試行錯誤しながらつかみ取った。失敗もたくさんした。
3人きょうだいの長男として、ニューメキシコ州最大の都市アルバカーキーで生まれ育った僕だが、弟も妹も僕もまだほんの子供だった頃に父が亡くなり、母がどうにか一家をまとめていた。
母は素晴らしい母親で、常に愛情深く、僕たち兄弟の人生で揺るぎのない存在だった。
それでも金髪の子供が、うまく溶け込めないヒスパニック系の地区で、父親もなしに育つというのは大変なことだった。
何もかもどうしたらいいのか分からなかった僕は、いたずらや非行にエネルギーを注いだ。
父が亡くなる2,3年前、小学校3年生のときのことだが、担任教師は母に僕の知能指数が低いと伝えた。
それを立証するかのように、父の死後、僕はあっという間に周囲から困ったやつという評価を受けるようになっていた。
母が必死に働いていたその年月、僕は学校でもがいていた。
18歳になる頃には、僕を知る人はみな、僕の将来は明るくないと確信するようになっていた。
なんとかニューメキシコ大学に入れてもらったものの、大学での成績はそれまでよりいっそう下降し、平均CからDへと落ち込んだ。だが、学んだことが1つあった。
それは春休みになれば、学生はみな1週間ほどデイトナビーチへ繰り出してどんちゃん騒ぎをするということだ。
僕はその上を言ってやろうと考えて、大学を放り出してデイトナビーチに引っ越してしまった。
デイトナビーチでは髪を伸ばして巻き毛にし、浜辺でぶらぶら過ごした。曲がりなりにも生計を立てるため、オーランド・カントリー・クラブでゴルフコースの芝刈りの仕事に就いた。
ある日、じりじりと照りつけるフロリダの太陽の下、芝刈りに精を出していると、僕がきれいに刈り上げたばかりの芝生のあちらこちらで、裕福な会員たちがゴルフを楽しんでいる姿が目に留まった。
こぎれいなゴルフウェアに身を包み、高価なゴルフクラブがぎっしり詰まった高級バッグを携え、すいすいと動くゴルフカートに乗って鼻歌まじりで動き回る彼らの姿を眺めていると、僕の内部に燃えるような疑問がふつふつと湧きあがってきた。
あっちは優雅にカートに乗っているのに、こっちはどうしてあくせく仕事してるんだ?おかしかないか!
あっちは楽しくゴルフ、こっちは芝刈りって一体どういうわけだ?
僕だって決してあいつらに劣っちゃいない。なのに、どうしてあいつらのほうが10倍も20倍もいい思いをしているんだ?
あいつらのほうが僕より20倍も立派だというのか?
それとも20倍一生懸命働いているのか?
そんなことはないだろう。
目の前で起きている現象には、僕が理解すべき何か、極めて明白なはずの何かがあるように感じたけれど、僕にはそれがさっぱり分からなかった。ただ、なにもかもがものすごく不公平に思えた。
非常に多くの人が経験することだが、ともかく僕は自分が人生の分岐点に直面していることを理解した。
そのときのことを僕は今、胸くその悪い1日と呼んでいる。
自分の置かれた状況に正面から向き合い、何をどうしていいのかまったく分からないながらも、変わろうと決意した衝撃の瞬間だ。
人は人生で時々、そういうひらめきの瞬間に出会う。
その瞬間、フロリダの猛烈な暑さの中、汗だくで突っ立っている僕に決断の時が訪れた。
突然、自分のいる場所にも、自分自身にもこれ以上我慢できなくなっていることに僕は気づいた。
何かがカチッと音を立てた。
歯車がかちゃりとかみ合った。
ついさっきまで居た場所だけれど、もう二度とそこには戻るものかと思った。
現状を変えようと思うなら、これまでと違うことをしなければならないのだと僕は悟った。
答えが少し見えてきた。
ほんの少しだけ。
持続的な本物の成功へと続く道を見つけるのに十分とはとうてい言えないけれど、出発点としてはそれで十分だった。