『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第10章 人生の2つの道 P233

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『責任を負うか負わせるか』
今自分は成功曲線と失敗曲線のどちらにいるのか、あるいは誰か他の人がどちらの曲線にいるのかを知るにはどうすればよいのだろう?
それを知る方法を紹介しよう。
2つの曲線のどちら側にも圧倒的に優位を占める1つの態度、1つの心の姿勢が存在する。
失敗曲線上にいる人々に見られる優位な心の姿勢は、「非難する」というものだ。一方、成功曲線上にいる人々に見られる優位な心の姿勢は「責任を取る」というものである。
成功曲線上にいる人々は、いっさいの責任を引き受けて生きている。彼らは自分という人間、自分が今置かれている場所、自分に起こるすべての出来事に対して全責任を取っている。
責任を取るという行為は人を自由にする。実際、責任を取るということほど、開放感を感じられることはないのではないだろうか。
たとえそれが辛いことであっても、公平だと思えなくても。
責任を取らずに他人や自分の境遇、運命、不運を非難するならば、あなたは自らが持つ力を手放すことになる。
たとえ周囲が間違っていようと、また現状が完全に不公平であろうと、あなたが全責任を負い、またその責任を負い続ける限り、あなたは人生の手綱を自分の手で握り続けることができる。
否定的なことや困難なことは誰にもにも起こり得る。
そんなとき、大部分の人はほとんど、もしくは完全に、制御を失ってしまう。
成功と失敗の違いは、そんなときにどう対応するか、事態や状況をどのように捉えるかにある。
そしてそれは完全にコントロールできるものだ。
アメリカの自然主義者ジョン・バローズはかつてこう言った。
「人間は何度でも失敗する。しかし自分以外の誰かを非難し始めない限り、それは失敗ではない」。
人は自分が自分に許したことに対して、文句を言ってはいけないのである。
上向き曲線上にいる5パーセントの人々は、言い訳は通用しないことを知っている。
自分のために誰かが何かをできるわけでも、誰かが自分に代わって何かをできるわけでもないことを理解し、その事実を受け入れている。
彼らは「もしそうなったとしても、それは自分次第だ」という格言に従って生きている。彼らは自分自身の基準を設定していて、その基準は高い。
自分の唯一の限界は、自らが課した制限のみだということを自覚している。
大切なのは自分に何が起きたかではなく、その出来事にどう対処するかであり、それが成功と失敗を分けることを理解している。スライト・エッジに気づいているし、それが自分の人生にどう作用するのかも分かっている。
一方、失敗曲線上にいる人々は他人を責めることの達人だ。
彼らはあらゆる人や物を責める。経済、政府、石油危機、天気、隣人、富裕層、貧困層、若者、高齢者、自分の子供、親、上司、同僚、従業員、そして人生そのものまで、何でもかんでも責めまくる。
下向き曲線の住人者たちは、人生の犠牲者であり、「こんなことをされた」と主張する被害者の集団なのである。
僕はこんな人生哲学を公言していた男を知っている。
「人生なんて、生まれてから死ぬまでの間のどこかで起こるたちの悪い冗談みたいなもんさ」。
この男が住んでいたのはどちらの曲線だろうか?
彼はどこへ向かっていたのだろう?
「人生はたちの悪い冗談」という考え方がホテイアオイのような時間の力によって増幅されたとき、どんな結果を生むことになるか、あなたは想像できるだろうか?
「願いごとには気をつけたほうがいい。本当にかなうこともあるのだから」という表現を耳にしたことがあるだろう。
だが気をつけるべきは、何を願うかという問題でさえないと僕は思っている。
気をつけるべきは、何を「思うか」なのだ。
なぜなら行動と時間によって掛け合わされたとき、考えたことが現実となるのだから。