『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

ポジティブ心理学の科学から出るパワフルな情報を、待ち望んでいる人々に届けるページです。

第8章 波及効果 P183

イメージ 1

 
『アンバー・オルソン・ローク:スライト・エッジと共に育って』
 
私が子供時代に受けたもう1つの大きな影響は、わが家では仕事と家庭の区別がなかったことです。
 
両親のどちらかの携帯に仕事の電話が入っても、別の部屋へ行って話すのではなく私の目の前で話していました。
 
打ち合わせにも、私を連れて行きました。
 
両親は2人とも仕事を愛していたし、その仕事への愛が私にも少しずつ浸透していったのだと思います。
 
私にとって「仕事」という言葉は、退屈な骨折りとか義務的にしなければならないことといったニュアンスを持つことは決してありませんでした。
 
むしろ、大好きなこと、するのが待ち遠しいことというニュアンスでした。
 
高校ではカイロプラクティック室のマネージャーを務めました。 
私は職業体験プログラムに参加 することができ、1日のうち半分は学校で、もう半分は仕事をして過ごすことになりました。
 
そのおかげで卒業するまでに、マネージャーレベルでの職業経験をいくらか積むことができました。
 
スライト・エッジがどのように働くかを意識的に自覚するようになったのは、大学に入ってからのことです。
 
周りの学生たちはみな成績評価が4.Oもあって、SAT(訳注:アメリカの大学進学適性試験)のスコアもとても高かったのです。
 
自分は必ずしも教室で一番賢い学生でも、一番才能があるわけでも、一番直観力に優れているわけでもないことは分かっていました。
 
でも、たとえ自分よりも才能のある人たちに囲まれていたとしても、常に授業に出席して勉強を続けるなら、彼らを超えることができると私は知っていました。
 
私はクラスメートたちがよくしがちな選択がどんな種類のものかに注意を払うようになり、やがてその背後にある哲学を理解するようになりました。
 
私はいつもたくさんの自己管理を自分に課していました。
 
といっても自分に何かを強制するような厳しいものではなく、人生がどんなふうに展開するかを理解していれば、自然にそうしたくなるというような類のものでした。
 
父の表現を借りるなら、自分の哲学から自然に湧き起こるような自己管理ということになるでしょう。
 
大学で4年間過ごしたあと、私は大きな金融サービス会社でマーケティング経理担当マネージャーの職を得ました。
 
私はこの仕事が大好きでした。
 
ところが約1年が過ぎた頃、父から電話がかかってきて一緒に事業をしないかと誘われました。
 
両親はメディカル・スパ(訳注:医療効果のある温泉施設)のオーナーだったのですが、その経営状態はあまり芳しいものではありませんでした。
 
それで私はテキサスに戻り、そのスパのマネジメントをしばらく引き受けることにしました。
 
これもまた素晴らしい経験でしたが、まもなく私は別の仕事の道へと導かれ、それまでよりずっと大きな影響力をもたらすことになったのです。
 
 
#SlightEdge #幸せの秘訣 #ありきたりな事をきちんとやる #コミュニティー