第11章 スライト・エッジをマスターしよう P274
「読者から寄せられた体験談」
娘が生まれてしは、らくしてから、僕は不本意ながら国が運営する WI Cプログラム(訳注:米国の婦人児業向け栄養強化計画)に娘のミルク 代を支給してもらえるかどうか問い合わせた。
自分でミルクを買う余裕がなかったからだ。
それは僕の人生をはっきりと決定づける瞬間だった。
僕は当時20代前半で、人生はあらゆる面で(お金、家族、体調、信念、友人、楽しみ、自由のどの面でも)急降下しつつあった。
そんなことになったのはひとえに自分がそれまでの5年間に下してきた決断のせいであり、僕がじりじりと下降の道をたどることになったのは、その決断のほとんどどれもが影響していることも分かっていた。
心の奥底では、給付を受ける人生から責任を果たす人生に変えなければいけないと知っていた。
僕がそのとき下した1つの決断が転機になった。
毎日、娘の世話をし ているあいだ、テレビの「ピープルズ・ネットワーク 」という番組をつけておくことにしていた。
僕が道を逸れたときはいつでも、その番組で話をしていた誰かの知恵や洞察を共有し、そのおかげで正しい方向に戻 ることができた。
同じ頃、僕が出席していたイベントでジェフ・オルソンがスライト・エッジの概念を紹介していた。
彼はスライト・エッジが自分の人生で大いに役立ったと述べた後、「あなたにもきっと役に立つと思う」と付け加えた。
効果が現れるのは自己管理に投資した時間の最後の20%になってからだと、彼は言っていた。
何か信じるものが必要だった僕は、その日、ジェフ・オルソンが信奉するスライト・エッジの哲学を受け入れること にした。
それからの5年間、僕が下したあらゆる決断はスライト・エッジに基づくものだった。
ちょっとした判断ミスではなく、ちょっとした前向きな自己管理につながる決断だ。
それらの決断の大多数のおかげで、僕は今成長の道を歩んでいる。
もがき苦しんでいたあの日々のことは決して忘れないだろう。
道から逸れて戻り、また道から逸れては戻る。
その繰り返しだった。
問題は自分自身にあると気づいた僕は、自己開発に努めた。
仕事に行くようになり、全力を尽くした。
長期的なビジョンを立て、満足することを先送りにした。
成功するためには他の人たちがやりたがらないことをしなけれ ばならないことは知っていた。
成功するにせよ、失敗するにせよ、それは自分に原因がある。
他の誰も責めることはできないし、そうしようとも思わないし、実際に誰のことも責めなかった。
それが簡単なことだったかと言えば、決して簡単ではなかった。
やってみる価値があったかと言えば、非常に大きな価値があった。
やがてスライト・エッジの転換点である魔法の20%に到達し始めた僕は、お金や家族、体調、信念、友人関係で効果を実感するようになった。
そして楽しみや自由までもが続いた。
僕はスライト・エッジの効果を実証する生きた見本になったのだ。
それ以来、僕はスライト・エッジの哲学を20カ国以上の国々で伝えてきた。
自分でスライト・エッジのチェツクシートまで作った。
僕の娘はそのチェツクシートを使って、格闘技で黒帯を取り、自己啓発書を毎日15ページ読む習慣をつけ、クリティカル・シンキングの手法を身につけることかできた。
最近18歳になった娘は、3カ月間のイタ リア旅行に旅立った。
娘のためには素晴らしいことだ思う反面ちょっと悲しい気持ちでいる。
娘に会えなくて寂しいのだ。
だが、娘は大丈夫。
何しろスライト・エ ッジの哲学は今や彼女のDNAの一部なのだから。
そして娘には3歳の妹がいるのだが、もちろん今回は『スライト・エッジ』のおかげで、ちゃんと自分でミルクが'買えている。
アート・ジョナク テキサス州ヒューストン在住
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