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第1章 海辺の遊び人と億万長者 P16


『人はこういう人間になろうと自分で決めたら、必ずそうなるものなのだ』―ラルフ・ワルド・エマーソン
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僕が子供時代を過ごしたニューメキシコで、近所に住んでいた2人の幼なじみのことを話したいと思う。
この2人は一緒に大きくなり、同じ学校に通い、卒業したのも一緒で、大学時代の下宿先も同じだった。憎めないやつらで、僕はどちらとも仲良くしていた。
そっくり同じような子供時代を過ごした2人だが、高校生になる頃には2人とも、いたずら者と言われるようになっていた。しかし、どんなに不利な立場に立たされようと、それをはね返すに余りある気力と野心が2人にはあった。
総合的に見れば、スキルや将来性という点でも、2人は互角だったと言えるだろう。実際、2人はあらゆる面でほとんど同じだった。
だが1つだけ、例外があった。
それは2人がそれぞれに選んだ道だ。
その結果、その後の2人の人生はかけ離れたものになった。
1人は大学で落ちこぼれ、ニューメキシコを離れてフロリダのデイトナビーチに引っ越した。デイトナビーチと言えば、春休みになると世界樹から大学生が押し寄せる一大観光地だ。
彼はその浜辺で1日中、バーベルを挙げで鍛え上げた筋肉質な体を見せびらかし、女の子のお尻を追いかけて過ごした。ブロンドの髪は長くばして巻き毛にした。
やがて彼は、アメリカのお茶の間にプロレスを浸透させたプロレス団体(WWE)の往年の人気レスラーにちなんで、ゴージャス・ジョージと呼ばれるようになった。
デイトナビーチという小さな世界では、ちょっとした有名人だった。とはいっても所詮は海辺の遊び人にすぎないわけだから、」生計を立てるために、ゴルフコースの芝刈りをしたり、金持ちのゴルフ客のために太陽の下で汗をかきながら、クラブの入ったバックを運んだりしなければならなかった。
そんな生活に不満を抱いた彼は、結局ニューメキシコに舞い戻って事業を始めた。その後、事業は失敗し、ゴージャス・ジョージはすべてを失った。
もう1人の幼なじみのほうはと言えば、成人後、素晴らしく幸運な人生を歩んでいた。
優秀な成績で大学を卒業した彼は、ビジネススクールに進学して主席で卒業すると、大手テクノロジー企業に採用されて輝かしい経験を残した後、ベンチャー企業を次々に設立。
新たに起こした企業はどれをとっても、その前に起こした企業をしのぐ成功を収めた。
彼は今、あらゆる面において豊かな人生を送っている。
美しく素敵な娘の父親であり、世界中に何千人もの友がいて、記録的な成功を収める会社を経営し、非常に幸せに暮らしている。
しかし彼は今でも、幼なじみである海辺の遊び人と連絡を絶っていない。
連絡を絶つどころか、非常に緊密に連絡を取り合っている。
僕はこの2人のことをよく考える。なぜなら僕自身、2人のうちどちらになっていてもおかしくないことを知っているからだ。
事実、かつての僕はそうだった。というのも、実はまだ明かしていないことが1つあるからだ。
彼らが長年ずっと一緒だったのも、今でも絶えず連絡を取り合っているのも、本当はこの2人が同一人物だからなのである。
つまり両方とも僕なのだ。