『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第1章 海辺の遊び人と億万長者 P22

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『驚異的な業績』
その日、胸くその悪い思いをして、はっと目が覚めた僕はゴルフコースから立ち去ると、1964年型の6気筒のダッジ・ダートにステレオと服を積み込んで、アルバカーキへ向けて出発した(持ち物はすべて後部座席に余裕で収まり、まだ1人乗れるだけの余裕があった)。
エンジンがオーバーヒートを起こしてばかりいたせいで、テキサスにたどり着くだけで6日もかかった。
僕の人生の中で最も長い旅路だった。
それは車がおんぼろだったせいだけではなく、僕の心と魂が辿った距離のせいでもある。
ニューメキシコに着いた頃には、凡庸という土地には永遠に戻らない、優れた業績の世界の住人になってみせる、と心に決めていた。
8気筒のパワー全開で力一杯走るぞ(とはいえ、さしあたりは6気筒で走るしかないのだが...)、人生を前に進めるために必要なことは何でもやるぞ。そう意気込んでいた。
前にも言ったけれど、それまでの僕はずっと何をやらせてもせいぜい人並みだった。学校の成績も、スポーツも、社交性という点でも。
そんな自分がひとかどの人間になれる方法があるとしたら、それはもっと粘り強く努力する以外にないと思っていた。
チームに加わりたいのなら、もっと練習を頑張らないといけない。
現実社会で誰かの目に留まりたければ、そのための努力をもっとしなければならない。
良い成績を取りたければ、もっと勉強しなければならない。
だから僕はそうした。
その学期、僕は人生で初めてオールAを取った。そしてクラスの主席という成績で卒業し、ビジネススクールに進学した。
その後のことはご存じのとおりだ。
だが、事はそう簡単ではなかった。そのときはまだ知らなかったのだが、一生懸命努力をしさえすればうまく行くというものではないのである。
頑張るだけで何とかなるものなら、努力家はみな成功しているだろう。
自分の周りを見回してみれば、そうではないことが分かるはずだ。
世の中には、がむしゃらに働いていてもちっとも報われない人が山ほどいる。
僕はそのことに気づきかけていた。
大学を卒業後すぐにアルバカーキ国際空港に努めたが、そこでも僕は身を粉にして働いた。そして瞬く間に、国内の国際空港で最年少のエアポート・マネージャーの1人になった。
その後、マネジメントの才に恵まれていた僕は、ダラスに本拠を置く大手テクノロジー企業テキサス・インスツルメンツ社に引き抜かれ、そこで5年間働いた。
そこではインテリジェンス・システム部門(訳注:インテリジェンス=情報収集)のマネージャーとして管理職にまで昇進した。
だが、そこのなんとも「株式会社アメリカ」的なやり方が僕には向かなかった。
僕が忌み嫌う駆け引きがいろいろとあったし、自分の居るべき場所をまだ見つけていないという感じもしていた。
それに僕は明らかに乗りに乗っていた。
正直に言うと、全力で取り組めば何だって成し遂げられると思っていた。魔法の呪文を覚え、秘密の公式を発見したような気になっていたのだ。
そこで僕は独立して、起業家の道に足を踏み入れた。
再びアルバカーキに戻り、太陽エネルギーの会社を始めた。太陽エネルギーについては何も知らなかった。
太陽は東から昇るのか、西から昇るのかさえ怪しいくらいだった(東からだということは、今では知っている)。
しかし太陽エネルギーの会社が州内に400社もあるニューメキシコは、この新進ビジネスの中心地なのだから、知識があろうがなかろうが、取るべき道ははっきりしているように思われた。
そして最初のうちは、自分が非常に賢明な決断をしたように思われた。
僕の会社は2年もしないうちに国内トップ10に入り、やがてアメリカ最大の太陽エネルギー会社の1つになった。
僕は興奮した。天にも昇るような気分だった。
僕がまだ分かっていなかったのは、何事も同じ状態は続かないということだ。
あらゆるものは常に動いている。
何もかも変化する。
次に起きたのはそれだったのだ。
時代が変わった。
税法が変わった。
業界は大打撃を受けた。
何が起きているのかを僕が把握する前に会社はつぶれてしまい、僕はすべてを失った。
もう一度稼げるとはとうてい思えない額の借金を背負って、ゼロ以下へと逆戻りだ。
信じられなかった。それまでに築き上げたものがすべて、目の前で塵になってしまった。
億万長者の生活は消滅し、僕は何一つ持たない海辺の遊び人の土地に置いてきぼりにされたのである。
車まで没収されてしまった。