『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第13章 メンターから学ぼう P308

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『僕を生まれ変わらせた人』
前にも話したが、成長期の頃僕は何をやってもごく平均的だった。学業も、スポーツも、社会性も、何もかもが人並みだった。
デイトナのゴルフコースでの胸くその悪い1日の後、大学に戻った僕は人並み以上のことを成し遂げるには粘り強く努力するしかないことが分かっていた。
そして僕は狂ったように勉強に打ち込んだ。それが功を奏して、オールAという成績をとることができた。しかし、それでも僕は自分を人並みだと思っていた。
「ごく平均的」という自分自身に対する認識が変わり始めたのは、アルバカーキ空港でインターンの職に就いた時だった。自分に対するの認識が変わったのは、ひとえにクライド・シェアという人物のおかげだった。
その仕事はあまり面白いものとは言えなかった。
経理インターンだった僕の仕事は、ビルの裏手にある狭いオフィスで、小さなデスクの上に置かれた加算器で日がな1日数字を処理するというものだった。
僕がそこにいることを知っている人がいたかどうかさえ分からない。
そんなある日、どうしてなのか僕には知る由もないのだが、シェア氏が僕のデスクに立ち寄り、一緒にコーヒーでも飲まないかと誘ってくれたのだ。
クライド・シェアは大きな成功を収めた洗練された60代の人物で、エアポート・ディレクターを務めていた。
エアポート・ディレクターは空港全体を運営し140名余りの従業員全員に対する責任を負う立場で、市長と市議会に直属する地位でもあった。そして彼はアルバカーキではもちろんのこと、国の航空業界全体でも大いに尊敬されていた。
彼が誰なのか、もちろん僕は知っていた。実際、そこで働いていた数カ月の間に、時々廊下ですれ違えば挨拶もしていた。けれども言葉を交わしたことはそれまで1度もなかった。それなのに彼は僕の小さなデスクのそばに立ち、一緒にお茶でも飲まないかと誘ってくれたのだ。
何か気の利いたことを言わなければと思った僕が返した言葉は「もちろんです」という一言だった。
僕たちはスタッフ用のラウンジに行き、コーヒーを飲みながらちょっと話すと、たちまち意気投合した。
それからというもの、一緒にコーヒーを飲むのが毎週の習慣になった。週1回が週2回になり、さらに1日置きになり、ついに毎日の日課になった。
こんなふうにして、クライド・シェアは僕に目をかけてくれるようになった。自分が立派な人物に認められ受け入れられたと感じたのは、それまでの人生で初めてのことだった。
そしてみんなが僕を見る目が一変した。空港で働いている人たちがなんと言っているか、僕には察しがついていた。
「シェア氏は何だってあの大学生に興味があるんだろうか?われわれも彼を見る目を変えるべきかもしれないな」くらいのことをおそらく言っていたのだろう。
みんなが僕を違う目で見るようになったので、僕自身が自分を見る目も変わり始めた。そして行動までもが変わり始めた。価値のある人間のように、成功する人のように振る舞い始めたのである。
その一方でクライドは僕が働きながら大学に通っていてカツカツの暮らしをしていると知ると、しばらくして「夜間スーパーバイザー」という役職を作って僕にオファーしてくれた。
夜間スーパーバイザーになった僕は夜間1人で空港に残り、その時間を宿題に充てることができた。他の事務スタッフは5時に仕事が終わるので、僕は4時に出勤して真夜中まで空港にいた。
何か特別な仕事が発生した場合(それも滅多になかった)に備えて待機している以外には、僕のすべき仕事はほとんどなかった。要するに、宿題を終わらせることに対して給料を払ってもらっているようなものだった。
クライドとの関係が徐々に深まっていくうちに、そのつながりで警備部長、整備部長、業務部長とも親しくなっていった。
僕は学士号を取った後、大学院に進み空港での仕事も続けた。
最終的には、クライドの勧めで空席になっていたエアポート・マネージャーの職に応募した。応募者は他にも山ほどいたが、その職を射止めたのは僕だった。
アルバカーキ国際空港で23歳の若造がエアポート・マネージャーの職に就いたという噂が広がり始め、それは巷の評判となった。
それから間もなく、テキサス・インスツルメンツ社が僕のもとを訪ねてきた。僕は面接に連れて行かれ、その2日後には社長と会うために送り出された。
そして僕は採用され、(営業でぞっとするような経験を経て)マネジメントの出世コースに乗せられ、28歳になるまでにはインテリジェンス・システム事業部のマネージャーになっていた。
そのすべての始まりは、あの1杯のコーヒーだった。
母は常々「クライド・シェアさんがあなたの人生にとって1番大切な人だったわね」と言っている。
そのとおりだ。
シェア氏に身をかけてもらうようになって僕が変わったのを、母は見逃さなかった。
たった1人の人物が、あなたの人生に驚くべき影響を与えることがある。
周りの人たちのあなたを見る目が変わり、自分自身が気づいてさえいない可能性をその人たちが見出してくれるようになる。
クライド・シェアは僕を信じてくれた。
そして彼の信頼があったからこそ、僕は自分自身をもっと信じられるようになった。
彼の信頼が今の僕を作ってくれた。僕はそう思っている。
僕がクライド・シェアから学んだ最も大切なことの1つは、メンターの力だった。
自分の人生の質を高めるための最短にして確実な道は、すでにその道を極めた人たちと付き合い始めることなのだということを彼から学ばせてもらった。