第11章 スライト・エッジをマスターしよう P272
「葬式から学んだこと」
拒絶されることを恐れるのはなぜだろう?
1度や2度門前払いを食らったっていいじゃないか。
大多数がどう思おうが気にしなければいいじゃないか。
95%の人々が何を言おうが何を思おうがどう行動しようが、全然構わないじゃないか。
自分自身の死についての真実に直面すると、自分の人生についての重要な真実にも向き合えるようになる。
あの葬式の記事は僕の快適領域を拡大し、勇気という強みを与えてくれた。
ほんの小さな強みだが、それ以前の僕にはなかったものだ。
まさにわずかな追い(スライト・エッジ)だ。
僕はようやく持てる限りの勇気を奮い起こしてエンジンを切ると、店の中に入った。
このとき僕がやったプレゼンは、営業史上最悪のプレゼンだったと今でも確信している。
何1つ買ってはもらえなかった。
その意味で言えば完全な失敗だった。
しかし車に戻った僕は意気揚々としていた。
営業訪問を決行し、人生における勝利を収めたからだ。
その2、3日後、ふと例の記事についてもう1度考えた。
そのときも僕は車の運転席に座っていたのだが、今度は渋滞で停車中のことだった。
そして窓の外に目をやると、停車させられた理由が分かった。
なんと葬列が通り過ぎていくところだったのだ。
しかも葬列の車が少なかったので、通り過ぎるのに1分とかからなかった。
停車していた車の列が再びゆっくりと動き出すと、僕はさきほどの霊枢車の中で横たわっている人のことを考えた。
その人は他人の思惑を気にかけながら一生を過ごしたのだろうか?
そして僕は、はっと気がついた。
葬列が長いのは誰の葬式だろう?
何千人もの人々が涙を流すのは誰の葬式だろう?
数百万人が悼むのは誰の死だろう?
それは他の人々がやりたがらないことをやろうとする人たち、その人のために銅像が建立されるような人たちだ。
例えばキング牧師やガンジー、マザー・テレサやリンカーンのように。
盛大な葬儀が催され、大群衆ばかりか国中が哀悼するのは、他人の思惑などおかまいなしに自分の人生を生きた人たちなのである。
これぞまさに波及効果だ。
習得とはまさにこういうことなのだ。
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