第6章 飛躍的進歩という言葉にだまされてはいけない p138
『架空の神と実在のヒーロ ー』
古代ギリシャの劇場では、登場人物たちは劇作家が考え出せる限りの混乱へと陥っていく。
そして何もかもがあり得ないような災難に向かっていると思われたそのとき、劇の最後の数分間で、「神」を演じる俳優が空から舞い降りてきてすべてを解決するのである。
説明不可能なことを説明し、解決不可能なことを解決するために、こちらの人物を追放し、あちらの人物は元に戻し、もう1人の人物は罰して、もう1人には神の思赦を与えるという具合だ。
事態は混乱を極め、人間の手では解決するすべがなさそうに見える。
解決には、神のような力を持つ存在が必要になるであろうことは明らかだ。
すると演劇版『ピーター・パン」とまさに同じように、神を演ずる俳優がロープと滑車(演劇用語で「からくり」とかマキナと呼ばれる機械仕掛け)で宙吊りにされるというわけである。
それから数千年が経った今日でも、解決不可能な問題を解決するために土壇場で何もないところから突然現れる「いんちきな」解決策のことを、人々はデウス・エクス・マキナ、すなわち、「 機械仕掛けでどこからともなく降りてくる神」と呼んでいる。
すべてを解決するのに間一 髪で間に合うぎりぎりのタイミングで、天国から降りてくる超自然的なブレークスルーのことだ。
ちなみに、ある演劇や小説、あるいは映画が「デウス・エクス・マキナ」を使っていると批評家が言うとき、それは褒め言葉ではない。
「リアリティのある解決策を思いつかなかったのか?それでお伽の世界かと思うような怪しげなエンディングにするしかなかったというわけだ。お粗末な話だね」と言っているのである。
勘弁してくれ。
実のところ、このブレークこそ人々が望んでいるものなのだ。
それまでの人生をがらりと変える大躍進。
幸運。
ブレークスルー。
毎日繰り返されることからの小休止、つまり現実を一休みというわけだ。
デウス・エクス・マキナである。
人々はSFドラマ『スタートレック』のカーク船長のように「ワープスピード、スコッテイ」と叫んで、A地点からZ地点まで瞬間移動したいのだ。
僕は自己開発分野で仕事をしていたときに、こういう人たちを1000回 、1万回と見てきた。
人々は週末のセミナーで紙に「ビジョン・ステートメ ント」を書き、熱い石炭の上を歩いたり、積み重ねた瓦を割ったり、原始人のように叫んだりすることで自分の人生のすべてを変えたいと思う。
だが、本当は物事はそんなふうには進まない。
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