第10章 人生の2つの道 P234
「責任を負うか負わせるか」
上向き曲線上にいる5パーセントの人々は、言い訳は通用しないことを知っている。
自分のために誰かが何かをできるわけでも、誰かが自分に代わって何かをできるわけでもないことを理解し、その事実を受け入れている。
彼らは「もしそうなったとしても、それは自分次第だ」という格言に従って生きている。
彼らは自分自身の基準を設定していて、その基準は高い。
自分の唯一の限界は、自らが課した制限のみだということを自覚している。
大切なのは自分に何が起きたかではなく、その出来事にどう対処するかであり、それが成功と失敗を分けることを理解している。
スライト・エッジに気づいているし、それが自分の人生にどう作用するのかも分かっている。
一方、失敗曲線上にいる人々は他人を責めることの達人だ。
彼らはあらゆる人やものを責める。
経済、政府、石油危機、天気、隣人、富俗層、貧困層、若者、高齢者、自分の子供、親、上司、同僚、従業員、そして人生そのものまで、何でもかんでも責めまくる。
下向き曲線の住人たちは、人生の犠牲者であり、「こんなことをされた」と主張する被害者の集団なのである。
僕はこんな人生哲学を公言していた男を知っている。
「人生なんて、生まれてから死ぬまでの間のどこかで起こるたちの惑い冗談みたいなもんさ」。
この男が住んでいたのはどちらの曲線だろうか?
彼はどこへ向かっていたのだろう?
「人生はたちの悪い冗談」という考え方がホテイアオイのような時間の力によって増幅されたとき、どんな結果を生むことになるか、あなたは想像できるだろうか?
「願いごとには気をつけたほうがいい。本当にかなうこともあるのだから」という表現を耳にしたことがあるだろう。
だが気をつけるべきは、何を願うかという問題でさえないと僕は思っている。
気をつけるべきは、何を「思うか」なのだ。
なぜなら行動と時間によって掛け合わされたとき、考えたことが現実となるのだから。
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