『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第6章 飛躍的進歩という言葉にだまされてはいけない P139

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『架空の神と実在のヒーロー』
一例として、奴隷制とその解放の歴史を見ていくことにする。
僕たちの国アメリカがまだできたばかりで啓蒙主義ののろしを上げていた頃、理想主義と、万人は平等に創られているという考え方の大掛かりな実験が行われていた。
だがその一方で、数百万の人間を鎖につなぎ、僕たちの仕事を代わりにさせていた。
そんなことを続けていると、どんなことになるのだろう?
そして、そんなことをしていたのは僕たちアメリカ人だけではなかった。実のところ、僕たちはそのやり方をイギリス人から学び、メイフラワー号に乗って大西洋を横断するときに持ってきたのだ。
18世紀の中頃、つまり海のこちら側ではワシントン大統領のもとで新しい国がよちよち歩きを始めたばかりの頃、海のあちら側ではウィリアム・ウィルバーフォースというイギリスの国会議員が、世界はもうこれ以上奴隷制度を続けてはならないと決意し、どうにかして廃止しようとした。
奴隷制度の廃止によって経済的なが既得権が損なわれ、心理的にも大きな抵抗があることを考えれば、これを成し遂げるのは1本のフォークで岩を削ってグランド・キャニオンをもう1つ創るようなものだった。
だがウィルバーフォースは、生まれながらにしてスライト・エッジを理解していた。
ウィルバーフォースは来る年も来る年も、法案に次ぐ法案を提出し続け、奴隷制を廃止するための法制に関する立案をイギリス議会の同僚たちに紹介することに、その議員人生すべてを捧げた。
しかし彼の提出した法案は、次々と廃案に追い込まれるばかりだった。
1788年から1806年の18年間、彼は毎年、新たに反奴隷制の動議を提出しては、それが却下されるのを見続けた。
だが、水はついに岩を削り上げた。
1833年、ウィルバーフォースが亡くなる3日前、イギリス本国だけでなくすべての植民地においても奴隷制を廃止するという法案を議会が可決したのだ。
その30年後、同様の法案がアメリカでも可決された。その先頭に立ったのはもう1人の良心の人(人生の多くを失敗の連続で過ごしたエイブラハムという名の忍耐強いイリノイ出身の弁護士)だった。
この2つの話もデウス・エクス・マキナだろうか?決してそうではない。どちらの場合も、解決策が突然舞い降りたわけではない。
長い年月にわたって休むことなく繰り返された忍耐強い努力の結果が「突然」現れたのだ。そこにはデウス・エクス・マキナなど使われてはいない。そこにあるのは人間の問題で、解決策も人間がもたらしたものだ。
ただし、スライト・エッジがなければそれをもたらすことは不可能だった。
この英雄的な闘いにおいて活躍したのは、もちろんウィルバーフォースとリンカーンだけではなかったし、彼らの法案が大西洋のあちら側とこちら側で可決されて法案として成立した後も、奴隷制と人種差別の害悪が終わったとは言いがたかった。
ローマは1日どころか100年経っても復興しなかった。しかし彼らが積み重ねた努力は、貧困を撲滅するためのマザー・テレサの努力、植民地への抑圧を終わらせるためのガンジーの努力、あるいは人種差別を廃止するためのマーティン・ルーサー・キング・ジュニアネルソン・マンデラの努力と同じように、現実の世界で「ブレークスルー」はどのように見えるのかを示す典型的な例だ。
こうした実在のヒーローたちはみな、スライト・エッジを理解していた。
「大躍進(ビッグ・ブレーク)」の魅力に洗脳された者は誰一人いなかった。
もちろんそんなものに洗脳されていたなら、彼らが取ったような行動を取り続けることはできなかっただろう。そしてその場合、今日の世界はどんな姿になっていただろうか。