第5章 急がば回れ P113
『ドラマはどこにあるのか』
こうした時間のかかる変化、つまり、現実の人生では何カ月も何年もかかる類の変化を 、映画やテレビでは音楽付きの30秒の編集映像に凝縮されてしまうのにはわけがある。
それは単に現実の人生ではこうした変化がどのようにして起こるのかを見せる時間が十分にないという理由ではない。
たとえ十分な時聞があったとしても、やはりそうはしないだろう。
なぜならそんなものは退屈だからだ。
スライト・エッジは退屈なのだ。
そう、前にも言ったとおりだ。
むろん、前にそう言ったときには、劇的効果を狙っていたにすぎない。というのは、スライト・エッジが人をどこへ導くかをひとたび知れば、実際には信じられないくらい刺激的なものであることが分かるからだ。
だが、少しずつ近づいてくる結果に気がつかない最初のうちは、スライト・エッジは退屈に見える。
( グランド・キャニオンに関して退屈なことは何ひとつないけれど、最初の2、300年間、じっと座って見ていたとしたら、見方は違っていたかもしれない)。
正しい選択をするというのが一大事であるなら、つまりドラマチックで大きくて困難なことであるなら、スライト・エッジを理解するのはずっと簡単なはずだ。
なぜならその場合、スライト・エッジは自明なことになるからだ。
この本は必要なくなるだろう。
問題は正しい選択がドラマチッ クではないことにある。
前章で述べたとおり、正しい選択をするというのは平凡なことで、あまり英雄的な感じはしないものだ。
悪者が操縦するヘリコプターの下に垂れ下がるスリングに飛びつき、よじ登って爆弾を解除して街を救うため、爆発が起きているピルの屋上から決死のジャンプをするか否かを決断する...これはドラマチックな選択だ。
シートベルトを締めるか否かを決めるのはドラマチックではなく、退屈で平凡で些細な選択で誰も目にも留めないだろう。
だが、毎年数十万人の命を奪う現実の力を持つのはどちらの選択だろう?
ビルからジャンプするほうではない。
映画の中でヒーローが正しい選択をするとき、それはドラマチックだ。
問題は、あなたの人生は映画ではないということだ。
現実の人生なのである。
スライト・エッジ的に正しい選択をするのがドラマチックなことであるならば、即座にフィードバックが返ってくるだろう。
映画館にいる観客全員が拍手し、歓声を上げ、叫んでいることだろう。
だが、そんなことは起こらない。
そしてこのすぐにはフィードバックが返ってこないということこそ、スライト・エッジの大きな問題なのである。
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