生きかた上手
Ⅵ 死は終わりではない
なぜ人を殺してはいけないのか。その問いには答えるのではなく、共に考えるべきです。
「ご臨終です」とは言わない
日本人のほとんどが病院で死を迎えるなかで、医者はいのちをどのように扱っているでしょうか。
私はもうずいぶん前から、「ご臨終です」と死の瞬間を告げるのをやめました。
プッツリと途切れたように死を言い表したくはないからです。
患者さんが危篤、に陥るころから、私は見守る家族に向かって「だんだんと呼吸が浅くなられました」と言い、「脈はかろうじてふれますが、もう意識はありません」と言います。
飛行機が着陸態勢に入って地上にランディングするさまを頭に描きながら、患者さんが死に向かってゆく状況を私は伝えます。
瞬間としての死ではなく、ゆっくりと進行する時間の流れのなかに、家族が患者さんの死を共有できるように導いてさしあげた いからです。
そして、まだ心臓が弱く打っているあいだに、つまり患者さんの意識はないけれどたしかに 生きているうちに、家族や友人の方にはお別れをしてほしいとお願いします。
「お母さん、ありがとう。お世話になりました」と、家族一人ひとりがお別れの挨拶を耳元にささやきます。
酸素吸入などはもちろん一切やめて、ただ静かな死を共に過ごすのです。
そうして訪れた平和な死は、何よりも家族にとって、悲しいけれどやさしい死として受け入れることができます。
いまの若い医師たちは、身内の死に出合う経験をもたない人たちばかりです。
ですから、よほど感性を豊かにして、医師としては最低限、患者さんの静かな臨終をおかさないよう心しなければなりません。
いのちには、明らかに、その人の存在という安易におかすことの許されない重みがあるのです。
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