生きかた上手
Ⅵ 死は終わりではない
なぜ人を殺してはいけないのか。その問いには答えるのではなく、共に考えるべきです。
不足する、生身の体験
それにはまず、いまの子どもたちに決定的に不足している、生身の「体験」をもっと増やしてあげることでしょう。
それはまちがいなく時間も手間もかかります。
こんな体験をさせることに意味があるのだろうかと、おとなとしては不安になるときもあるでしょう。
けれど、おとなが子どもと共に試行錯誤し、わかる、わからないを繰り返していくことに、すでに十分、意味があると私は思います。
身内の死に幼いときから立ち会わせるのも「体験」ですし、通夜や葬儀に参列させるのも「体験」になります。
それとは逆に、かつて私が小学6年生に「いのち」の授業をしたときのように、心臓の鼓動を聴診器で聴かせるという「体験学習」もあるでしょう。
そして、いま私がすぐにでも実行したいと考えているのは、「人のいのちを助ける体験」です。
アメリカのシアトル市は急死する人の数が世界で最も少ないと言われています。
この町では、倒れている人を見かけて通り過ぎたり、救急車が到着するまで遠巻きにしているだけということがありません。
すぐに蘇生術が一般の人によって施されるのです。
それは、25年以上前からシアトルの大学病院で働く人はすべて、医師、看護婦にかぎらず学生も事務職員もボランティアも救命法をマスターしてきたからで、さらにその運動が一般市民のあいだにも広がったからなのだそうです。
人工蘇生術は、10歳くらいの子どもにも十分マスターできます。
そこで私は、小学校や中学校にシュミレーターという蘇生術を学ぶための人形を持ち込んでみたいと思っています。
心臓マッサージや人工呼吸がきちんとできたとき、シュミレーターの人形はパッと目を開け、息を吹き返してことを知らせてくれます。
子どもたちはきっと驚きと感動をもつことでしょう。
人を救える技術を身につけているというプライドがもてれば、人を傷つけたり、ましてや殺すようなことはできなくなるだろうと思うのです。
いのちのかけがえのなさを伝えるのに、なぜそんなまどろっこしいことを、と思われるかもしれませんが、そんなさまざまな体験が層をなして積み重なるうちに、子どもたちは自分自身でわかってくるようになると、私は未来を信じています。
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