生きかた上手
Ⅵ 死は終わりではない
人には人にふさわしい終末が約束されるべきです。
医療が死を台なしにしてしまう
死が避けられない定めでくあるなら、せめて悲惨な最期にはしたくないと誰もが願います。
けれど、残念なことに望むような最期を迎えられる人は決して多くありません。
死は人生のクライマックスであるべきなのに、その死の場面までも、医師が患者さんやその家族から無造作に奪い取り、台なしにしてしまうことが多いからです。
病院で迎える死が、家庭で迎える死のように穏やかでないのは、最後の瞬間まで無益な延命措置などの医療を施してしまうことにも原因があります。
病気も末期になると食べられなくなって体力が落ちるものですが、それを補おうとして点滴でせっせと栄養を送ると、そのために幾分延命できたとしても、患者さんは一層つらく苦しくなってしまいます。
死が間近に迫っていて、医療の手の施しようがないのが明らかなのであれば、むしろ栄養は徐々に控えていくべきなのです。
そうすれば、まるで木が枯れていくように、自然に、静かに、眠るように死ぬことができます。
2500年も前、プラトンは、「長生きすることのメリットは楽に死ねることだ」というようなことを言っていますが、たしかにその通りで、老衰による自然にまかせた死は苦しみがありません。
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