生きかた上手
生きかた上手
『伝え方が9割』
第1章 伝え方にも技術があった
伝えることが苦手だった私
コミュニケーションで悩み抜き、結果として突破に至るまでの道のり
このような本を書いていると、もともと私は伝え方がうまかったのでは?と思われるかもしれません。
それがまるで逆なのです。
私は転校生でした。
父の仕事で引っ越しばかり。
つねに、転校先で「変わったのが来た」という目で見られていました。
違うアクセントで話す少年は、話すたびに好奇の目で見られ、いつしか人と話すことが嫌いになっていました。
家でひとりゲームをしながら、でも一方で、人にうまく話せるようになりたいという願望でつぶされそうになっていました。
告白しますが、今でも思い通り人に伝えられたときは、恥ずかしながら感動で目頭が熱くなります。
それは思春期の「うまく伝えられない」ことへのトラウマがそうさせているのではないかと思っています。
伝えるのが苦手な私は、理数系に進みます。
数字は、伝え方と関係ないからそちらのほうがラクだったのです。
でもそんな青春時代を送りながら、「人にもっと上手に伝えられるようになりたい」という気持ちをおさえられなくなりました。
大学で機械工学を勉強していたという意外性が面白がられて、大手広告会社に入社することになります。
面接では言いませんでしたが、私が広告をめざした本当の理由は、伝えることが上手になりたかったからです。
そして、何の間違いか、こともあろうにコピーライターとして配属されたのでした。
私は、その職種には最もふさわしくない人だったでしょう。
もともと伝えるのが苦手なうえに、それを仕事にすることとなったのです。
お酒が飲めないのに、バーテンダーになったようなものです。
蕎麦アレルギーなのに、蕎麦屋をはじめたようんばものです。
でもコピーライターという名刺をもらったときは、胸がじわっと熱くなるような、そんな感動を覚えました。
書くことが苦手な人間でも、めぐり合わせでなんとかなるのだと。
名刺を両手に持って見ているだけで、幸せでした。
しかし、それは悪夢がはじまる前の、素敵な世界だけが描かれた序章でしかありませんでした。
実際に仕事をはじめて、あまりの文章のへたさで上司をはじめ、周りの人を驚かせました。
まず、漢字が書けない。
「博」の右上に点があるかどうかわからないくらい書けない。
その当時、日本でもっとも漢字の書けないコピーライターだったと思います。
何時間も考えてきたコピーを1分くらいでボツにされ、やり直ししつづける毎日。
名刺の肩書と、実際の自分のあまりのギャップに本気で悩みました。
社会での自分の実価値さを痛感しました。
苦手なものを毎日やりつづけるというストレスで、過食に。
食べ物に安らぎをもとめ、自分でも気づかないうちに夜中に起きだして冷蔵庫をあけてプリンを食べていました。
それも翌朝、まったく覚えていないのです。
「楽しみにしていたプリンがない!誰か食べた⁉」と声に出して、行方を捜していました。
その結果が、一年で10キロの体重増。
小太りになって、こころなしか汗をかきやすくなった私は、じっと鏡を見ながら思いました。
「人生、まちがえてしまったのではないか...」
この本を書こうと思ったのは、そんな私でも伝え方の技術を知り、身につけることができるという生の経験をしたからです。
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