生きかた上手
「生きかた上手」日野原重明著
家族とは、「ある」ものではかくて、手をかけて「育む」ものです。
誤った過去は消せないが、やり直しはいつでもできる
ふれあい、コミュニケーションということばには、柔らかな、あたたかな響きがあります。
コミュニケーションということばの語源は「共通のものをもつ」とか「分かち合う」という意味のラテン語で、そこから連想するかぎり、「情報伝達」というような乾いた表現より、心がふれあい、通い合い、ひとつになるというような、血の通った関係性が強くイメージされます。
そうした柔らかさやあたたかさに、いま再びすがろうとする気持ちはよく理解できます。
けれど、一度は捨てたものを、もう一度拾うのは、そう生易しいことではないはずです。
拾い上げたところで、はたしてすぐに自分のものとできるかどうか。
なぜ、私たちはふれあいを捨てたのか。
ひとえに、わずらわしかったからです。
そのわずらわしさは、おそらくいまも変わらないでしょう。
むしろ豊かな時代の人間関係は、もっと厄介になっているかもしれません。
その覚悟はしておくべきだろうと思います。
淡い幻想と、効果をすぐさま期待する性急さは、なおさら取り返しのつかない事態を招くだけだろうと思うのです。
私たちは、傷を負ったことによって少しばかり知恵をつけていなくてはなりません。
そうでなければ、人間として何も成長していかないことを示すばかりです。
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