『Live Happy』『スライト・エッジ』習慣を身に着けよう!

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第3章 選択 P66

『億万長者の母』

この2人の息子たちの物語が寓話にすぎないことは、僕も重々承知している。現実の世界には、あなたのお金を1カ月の間、日々2倍に増やしてくれる執事など存在しない。しかし現実の世界でも、物事はあなたが思っているよりもずっと、この寓話に近い展開をするものなのである。

生きた事例を1つ紹介しよう。それは僕の母ローズマリー・オルソンだ。

母は35年間、地元の教会の管理スタッフとして働いた。給料はごくわずかなものだったし、大した手当てが付くわけでもなかった。生活はもともと楽ではなかったが、父が亡くなった後はいっそう苦しいものになった。

父は第二次世界大戦で兵役に就き、決して完全に治ることのない健康問題を抱えて復員した。その後、復員軍人援護局に20年ほど勤務し、最終的には患者という視点から退役軍人局病院を知ることになった。

肺気腫で肺の機能を失い、最後は心臓発作で41歳にして亡くなった。その後の軍主催の式典では、多分あなたもテレビで見たことがある例のあれ(軍人がきちんと三角形に折りたたんだアメリカ国旗を手に捧げ持って恭しく歩み寄り、一番年長の息子にその国旗を手渡すというあの儀式)をやってくれた。

我が家の場合、国旗を受け取るのは僕の役立った。11歳のときのことだ。

そのときから、母はシングルマザーとして3人の子供を育ててきた。仕事をし、帰宅すると料理をし、僕たちの世話をした。酒を飲むことも、悪態をつくことも、不平を漏らすことも決してなかった。ただの一度たりともなかった。

何があろうと母はいつもそこに居てくれた。母があまりにも淡々として堅実そのものなので、のちに僕は名前の一部であるローズをもじって母を「ちっとも香りのしない薔薇」と呼ぶようになったくらいだ。

正直に言えば僕としては、母のそういうところすべてを多かれ少なかれ当然のことのように思っていた。

母が貧しい生い立ちであることは知っていたし、僕ら3人きょうだいも同じように貧しい中で大きくなった。小さな家に住み、必要最小限の必需品しか持たずに暮らしてきた。そういうものだと僕は考えていた。そしてこれから先もずっと「そういうもの」だろうと、当たり前のように思っていた。

それから長い年月が流れ、僕が人生である程度の成功を収めた後のことに話を移そう。

1996年、『となりの億万長者―成功を生む7つの法則』(トーマス・J・スタンリー、ウィリアム・D・ダンコ著、早川書房)という本が刊行された。

今日では古典とも言える本だが、スライト・エッジの原則に従うことによって豊かさを手に入れた実在の人々について書いた本の中で、これ以上のものはいまだに読んだことがない。

この本に出てくる億万長者たちは富を相続したわけでもなければ、ギャンブルで一山当てて思いがけない大金を手にしたわけでもない。彼らの暮らしぶりは豪勢なものではないし、派手な車を乗り回したり、人目を引くような立派な家に住んでいるわけでもない。

収入以下のつつましい暮らしを送り、日々の生活を営むに際して良識的で賢明な選択をしている。

この本が刊行された後、僕の友人たちは僕にこう言ったものだ。

「おい、ジェフ。この本はもう読んだかい?君のことが書いてあるよ。この本に書いてあることは、まさしく君の行いや振る舞いそのものだね。君こそがとなりの億万長者だよ」。

彼らの言うとおり、本に書かれていたこととお金に対する僕の姿勢は完全に同じだった。僕は何年もの間、収入がどんなに増えても、1カ月の家族の生活費を4000ドル以下に抑えていたし、銀行の(税引き後の)預金が100万ドルになるまでは、その額を増やそうとはしなかった。その後、預金が100万ドルを超えた時点で5000ドルに増やした。

それから何年か経ったある日のこと、母と一緒に座っていたときにたまたまその本のことが話題になった。友人たちが僕のことをどんなふうに言っているかについても話をした。

友人たちが僕に対する評価は、堅実でむらがなくて、一歩一歩着実に前に進み、派手なところが少しもないとなりの億万長者というものだった。

母はうなずいた後、「なぜそうなのか分かる?」と僕に尋ねた。

母が何を言おうとしているのかよく分からないまま、僕は「いや分からないな、どうして?」と答えた。

すると母は僕を見つめて、「それはねえ、私も億万長者だからよ」と答えた。

「何のこと?母さんの住んでいる家にそれだけの値打ちがあるって言っていたのかい?それとも...」僕は聞き返した。だが、市場価格が高騰していた1996年当時でも、母の家にそんな値がつくなんてことはあり得なかった。僕にはそれが分かっていた。

しかし母が他に何のことを言っているのか、僕には見当がつかなかった。

「いいえ。私、200万ドル持っているの。貯めたのよ。蓄えがそれだけあるってこと」と母は答えた。

何だって?僕はただ母の顔を見つめるばかりだった。

「私も200万ドル持っているのよ」母はもう一度繰り返した。びっくり仰天する僕の顔を見ると、母は肩をすくめて「別に自慢するような事じゃないけどね」と付け加えた。

毎日仕事に出かけ、日常生活を営み、子供たちの世話をし、小さな家で暮らしたあの長い年月の間に、母は密に貯蓄をしていたのであった。

堅実にこつこつと。

誰にも気づかれることなく密に、文字どおり億万長者になっていたのである。

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